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脱成長、資本主義を刷新し、新たな未来をもたらすか?

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今回は、人新世の「資本論」 (集英社新書) という昨年9月に出版された本を取り上げます。

人新世というワードは著者斎藤さんが定義したもので、「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆い尽くした年代」という意味を込められております。

著者の主張はラディカルです。まとめますと、以下のような主旨だと思われます。

人類が質的に地球上を覆い尽くした現代(=人新世)において私達が直面する気候問題、その解決には大量生産大量消費のあり方を見直す必要があり、経済成長を追い求めることを止めなくてはならない(=脱成長)。しかしこれはみんなで貧しい生活をしましょうということではなく、むしろ共同体(コモンズ)を作り共有材を管理していく方法ことで、本当に必要なものだけを適正な値段で得られるようになり、格差と過労働から開放された世界を創れる。

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人新世の資本論が説く「脱成長」とは

せっかくですので以下に本の抜粋も掲載させて頂きます。

人新世の「資本論」 (集英社新書) 斎藤幸平 著

本書では、一般的に共産主義として知られるマルクス著書ではなく、膨大なメモを読み解くことで、著書には現れていない全く違った姿をあぶり出すことで筆者の主張を展開している。

晩年のマルクスの到達点は実は資本主義も社会主義も超越した脱成長コミュニズムであり、それこそが「人新世」の危機を乗り越えるための最善の道だと考えていたことがわかってきた。

本書は筆者がマルクスの考えを読み解きながら、気候問題を解決しながら人類が発展していく姿としての「脱成長」を論じている。

利潤を際限なく追求する資本主義においては、消費が喚起され続け、生産が環境負荷を増やす方向にはなれども、減らすことにはならない。資本主義は希少性を高めて価値を増やすため、本質的に格差を増やし続けるものであり、皆が幸せになることはない。
従って、経済成長を負わない脱成長により、生産量を減らし、必要材に限る転換が必要。これを牽引するのは社会運動であり、既に欧米では社会運動を発端とした共同体による運営への転換が起こり始めている。

資本主義が環境問題の原因

  • 人間だけでなく、自然環境からも掠奪するシステムであり、負荷を外部に転嫁することで、経済成長を続けていく。豊かな生活の「本当のコスト」について、私たちは真剣に考えてこなかった。そのような資本主義システムこそ、環境危機をここまで深刻化させた原因である。
  • 富裕層が率先して排出量を減らすべきという批判は完全に正しい。事実、富裕層トップ10%の排出量を平均的なヨーロッパ人の排出レベルに減らすだけでも、1/3程度の二酸化炭素排出量を減らせる。
  • 先進国の経済発展は、さまざまな問題のグローバル・サウスへの転嫁と不可視化が背後にある。だから、先進国と同じ方法で経済と環境の両立をグローバル・サウスでやろうとしても、転嫁先がないためうまくいくはずがない。現代の気候危機は、そのような外部化社会の究極的限界を端的に表している。
  • 2040年までに、EVは現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びる(by IEA)というが、それで削減される世界のCO2排出量は、 わずか1% と推計。

資本による包摂

  • 人類はかつてないほど自然支配のための技術を獲得し、同時に私達はかつてないほど事前を前に無力になっている。商品の力を媒介せずには生きられない。
  • その快適さに慣れ切ることで、別の世界を思い描くこともできない。
  • 社会全体が資本に包摂された結果、「構想」と「実行」の統一が解体されてしまった。

資本主義の本質

  • 本源的蓄積は潤沢なコモンズを解体し、希少性を人工的に生み出す。「私財の増大は、公富の減少によって生じる」。ここでいう「公富」とは、万人にとっての富のこと。
  • 資本主義が続く限り、「本源的蓄積」は継続し、希少性を維持・増大することで、資本は利潤を上げていく。そのことは99%の私たちにとっては、欠乏の永続化を意味している。
  • 囲い込み後の私的所有制は、この持続可能で、潤沢な人間と自然の関係性を破壊していった。それまで無償で利用できていた土地が、利用料を支払わないと利用できないものとなってしまったのである。
  • 無限の消費に駆り立てるひとつの方法が、ブランド化。広告はロゴやブランドイメージに特別な意味を付与し、人々に必要のないものに本来の価値以上の値段をつけて買わせようとする。
  • 「満たされない」という希少性の感覚こそが、資本主義の原動力。だが、それでは、人々は一向に幸せになれない。
  • 私たちは、十分に生産していないから貧しいのではなく、資本主義が希少性を本質とするから、貧しいのだ。これが「価値と使用価値の対立」である。

脱成長とコモン

  • ラワースもオニールも、「脱成長」あるいは「定常型経済」への移行を真剣に検討すべきだと結論づけている
  • 「コモン」は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第三の道」を切り拓く。コモンは、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。
  • 共同体では、同じような生産を伝統に基づいて繰り返している(経済成長をしない循環型の定常型経済)。もっと長く働いたり、もっと生産力を上げたりできる場合にも、 あえてそうしなかったのは、権力関係が発生し、支配・従属関係へと転化することを防ごうとしていたから。

自由の国

  • 無限の成長を追い求め、人々を長時間労働と際限のない消費に駆り立てるシステムを解体し、総量としては、これまでよりも少なくしか生産されなくても、全体としては幸福で、公正で、持続可能な社会に向けての「自己抑制」を、 自発的に行うべき。自制によって「必然の国」を縮小していくことが、「自由の国」の拡大につながる。
  • マーケティング、広告、パッケージングなどによって人々の欲望を不必要に喚起することは禁止。コンサルタントや投資銀行も不要。年中無休も廃止。必要のないものを作るのをやめれば、社会全体の総労働時間は大幅に削減できる。
  • 本書が問題にするのは、現在のような消費を可能にしている生産の方。
  • 二酸化炭素排出量を削減するための生産の減速を、私たちは受け入れるしかない。「排出の罠」で生産力が落ちるからこそ、「使用価値」を生まない意味のない仕事を削減し、ほかの必要な部門に労働力を割り当てることがますます重要になる。
  • 生産力の向上で「労働の廃棄」や「労働からの解放」を実現するのは、脱炭素社会においては無理。
  • 労働の中身を、充実した、魅力的なものに変えていくことが重要

脱成長コミュニズムの柱

  1. 「使用価値経済への転換」
  2. 「労働時間の短縮」
  3. 「画一的な分業の廃止」
  4. 「生産過程の民主化」
  • 生産手段の共同管理。なにを、どれだけ、どうやって生産するかについて、民主的に意思決定を行うことを目指す。
  • 強制的な力のない状態での意見調整には時間がかかるため、意思決定の減速という決定的な変化をもたらす。

5.「エッセンシャル・ワークの重視」

  • 現在高給をとっている職業として、マーケティングや広告、コンサルティング、そして金融業や保険業などがあるが、実は社会の再生産そのものには、ほとんど役に立っていない。本人さえも、自分の仕事がなくなっても社会になんの問題もないと感じている。「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」が溢れているが、高給なため、そちらに人が集まってしまっている現状。
  • 社会の再生産にとって必須な「エッセンシャル・ワーク(「使用価値」が高いものを生み出す労働)」が低賃金で、恒常的な人手不足になっている。

転換の方法

  • いきなりトップダウンの解決策に頼ろうとする「政治主義」モデルは機能しない。
  • 政治は必要だが、社会運動からの強力な支援が不可欠になる。
  • 3.5%の人々が本気で行動を起こせば社会は動く(ハーバード大学・エリカ・チェノウェス)

事例1:フランス市民会議の成果

  • 2020年6月21日、ボルヌ環境相に提出されたフランスの市民議会の結果。
  • 抽選で選ばれた市民150人は気候変動防止対策として、およそ150の案を提出した。そのなかには、2025年からの飛行場の新設禁止、国内線の廃止、自動車の広告禁止、気候変動対策用の富裕税の導入が含まれている。さらに、憲法に気候変動対策を明記することや、「エコサイド(環境破壊) 罪」の施行について、国民投票の実施を求めたのである。
  • 市民議会の提案がここまでラディカルな内容になったのは、社会運動によって民主主義のあり方が抜本的に変容したから。
  • 「黄色いベスト運動」や「絶滅への叛逆」は、しばしば具体的な要求を掲げていないと批判されてきた。だが、彼らの求めていたより民主的な政治への市民参加は、市民議会という形で実現され、ついには具体的な政策案になった。
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「脱成長」をどうみるか、わたしの感想

資本主義の次のビジョンとして掲げられた「脱成長」、とても極端でとてもワクワクさせられた、というのが正直な感想です。

自身は環境問題に関心があり、そして豊かな時代に生まれたミレニアル世代でもあり、「今以上に豊かになりたい」というモチベーションがあまりありません。海外旅行、特に大自然が好きでこれまで約40カ国の国々を旅してきた中で感じたことは、「人間生活による爪痕」でした。

トルコのパムッカレでは水が干上がり、南米パタゴニアの氷河は毎年後退し、ダイビングの聖地も海が汚れていっている。こうした人類の繁栄と引き換えに自然が払ってきた代償と思われる事象に対して、「もうこれ以上豊かにしなくていいから、なんとか環境を守れないものか」という価値観になっていきました。

もちろん、豊かなのは日本含め全人類の中で先進国に住む、その中の一部ですし、今環境問題と言われている物事全てが人間活動による影響とは限りません。しかしこのまま今の資本主義の延長線上に果たして人類の幸福はあるのだろうか?という疑問はずっとありました。

そんなもやもやした自分に突き刺さったのがこの「人新世の資本論」でした。

一方で「第三の道」としつつもとても社会主義寄りではないかとも感じました。社会主義がなぜうまく行かなかったのかという理由がそのまま脱成長後のコモンズの運営を行っていく中で生まれてくるのではないかと思うのです。ここで思い出すのは、ウィンストン・チャーチルの有名な言葉です。

「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」

人間のモチベーションの喚起が資本主義の優れているところだと思います。共有財をみんなで管理して生きていく、はじめは良いかもしれません、しかしこれが本当に問題だらけの人間がそれでもまとまって社会を形成していけるだけのインセンティブになるのか、腑に落ちませんでした。

それでも、悶々とするくらいならばやってみたら良いと思いますし、こういった動きが生まれ育っていくのはわくわくします。どんな活動が生まれどんなコモンズが育っていくのか、楽しみです。

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「脱成長」への反論を見る

Newspicksで本書のダイジェストとしての斎藤さんの記事が公開されました。Pickerのコメントが賛否両論で興味深かったため、一部反論を抜粋したいと思います。

多くの人は「不要不急」の仕事をして生きているので、それをエッセンシャルじゃないと言われても困るし、こんな考え方は広まってほしくない。行き過ぎると人間が不必要という話になるのでは。

この論争は戦後2回目、高度成長後の副作用で公害、格差、失業率、インフレがひどかった70年代には、成長の限界から仏教経済学Small is beautifulが提唱された。しかし現実には欧米の新保守主義により全く逆の高成長路線に向かった。今50年を経て同じ論争が繰り返されており、当時のように具体的な解決の方法論が大事ではないか。

コモンのデメリットも把握されるべきではないか、例えばモンスターな利用者が出た場合や、運営が少数のボランタリーな方にのしかかることで破綻してしまうことがコモン的な運営では度々見られる。実際にこうしたケースでは、外部委託化(民営化)による解決がされている場合も多いのは、コモンにはメリットだけでなくデメリットも多いことの証左ではないか。

前例のない課題の課題に直面したとき、人を駆り立てるのは何か?と考えたとき、それは好奇心と最後は資本ではないか。大事なのは社会全体で良いことのイメージが醸成され、そこに資本が投下される、民主的なプロセスをもって進んでいくことではないか。

ローマクラブ「成長の限界」は1972年で、このまま行くと地球がもたない、といった話は少なくとも40年近く前からあり、公害等々散々な目にあって、色々議論されても経済成長を度外視した別の豊かさを求めるということにはなっていない。経済成長と同時に社会・環境配慮がなされる世界観を目指すほうがしっくりくる

いずれもたしかになあ・・・と個人的に唸らせられたコメントです。敢えて反論を、しかも刺さるものをピックアップしましたが、もちろん賛同コメントもあり、以下のようなコメントもあります。

ニューヨークにいると、ミレニアルズ以下の若者たちの間で、この斎藤さんの感覚が、突飛なものでなく、ごく自然に浸透していることを痛感します。

ここに書かれている「感覚」が核心なのではないかと思います。脱成長に対する良し悪しではなく、「そもそも人間とはなにか、どう生きていきたいか」、という問いを突きつけられている気がしました。

仮に今の気候変動が本当にクリティカルで、温暖化により人類を窮地に追い込んだと仮定して、それでも4度の気温の上昇で人類が絶滅することはないでしょう。誤解を恐れずに言えば、それでも人類という種は生き続け、そしてその限りにおいては「人類はSustainable」と言えなくもありません。

主義主張の当事者から見れば正義があると思いますが、絶対的な良し悪しの話ではなく、暴論かもしれませんが、どんな人類社会が良いか、というかっこよく言えばイデオロギー、いや好み(感覚)の話なのではないかと思いました。

私自身の感覚で言えば、上述のとおり、「脱成長」の概念に共感します。社会実装にはハードルが高いと思いますが、それでもチャンスがあれば参画したいと思います。

バーニー・サンダース氏が大統領選挙で若手層から熱狂的な指示を受けたのは、次の世代の感覚が「脱成長」の方向性に近いことを表していると思います。彼らが支持基盤となる次の社会の方向性は「脱成長」になりうるのではないでしょうか。

 

 

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コメント

  1. 斎藤さんも言っていますが、ある程度のスパンで見ないと人間の考えは変わらない、ということですね。しかし、長い目で振り返れば確実に変わっているわけで、どう変わってきてどうなっていくのか、ということが書かれているのだと思いました。斎藤さんに限らずですが、「21世紀の資本」のピケティ、「サピエンス全史」のハラリなど、世界レベルの知識人の考えることがあきらかにこういう傾向を持ってきている、というのが世界の枠組みが大きく変わるべき時にきていることを予感させます。マルクスというよりは、フランス革命の前にルソーが登場した、そんな時代に類似しているように思います。ルソーが出てマルクスが出たが、そこまでは一国であったり、ヨーロッパという枠だったが、それがグローバル視点で再度ルソーに戻ってきたように思います。ヘーゲルの言うところの螺旋的発展、という意味で。

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