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旅は人、柳川に”Sustainable”の原点を見る

1週間の休暇を得て、九州旅行をしてきました。今回は人を巡る旅です。「どこに行って誰と会うか」を事前に計画し、go toトラベルを使いツアーを組みましたが、何をするかはノープラン、結果的に自分で探していたら出会えないような地と人との出会いに恵まれ、充実した旅になりました。

海外は数えれば行った国の数は40を超えますが、その旅のスタイルを思い返すと、最初は行きたい観光地を目指して観光していたものの、次第に現地での人との出会いが楽しくなり、より現地の人や旅行者との出会いが楽しい場所を選ぶようになっていった気がします。

その延長線上で、「さて、休みにどこに行こうか」と考えたときに、「誰に会いに行こうか」という発想に変わり、たまたま最近お声がかかっていた福岡の柳川を起点に、九州の友人に会いに行く旅にしたのでした。

今回は人を巡る旅のおもしろさと、今あらためて面白いと思った柳川という地域について書きたいと思います。

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熊本の南阿蘇

熊本へ転勤となった友人を訪ねて訪れたのが南阿蘇です。熊本空港から東へ進むと、阿蘇エリアに入ります。阿蘇山のエリアは阿蘇山の山頂を中心に見て、北側に阿蘇市、南西部に南阿蘇村、北西部に高森町、というように均等ではないですが分割されています。

阿蘇市の方も行ったことがあるのですが、阿蘇神社の周りがリブランディングされ、おしゃれなお店や昔ながらの雰囲気の趣がある商店街が復活されていて、賑わいを見せていました。阿蘇山のカルデラの大自然感も味わえます。

南阿蘇村は人口1万人ほど、10の水源が透き通った水の恵みを供給する自然豊かな場所です。白水水源というのが有名で観光地化されているのですが、今回は地元の人が知る水源をご紹介頂きました。近くではヤマメの養殖場があったのですが、塩焼きは臭みが全くなく大変美味でした。自然の恵み

ランチで訪れたイロナキカゼは野菜がこんなに美味しいものかと唸らせられました。お野菜は自家製のようです。ランチのみ、平日でも予約必須です。

震災以来動いていない南阿蘇鉄道ですが、駅舎が色んな形で活用されているのです。その一つが長陽駅のカフェ、黄金の稲をぼんやりみながら頂くシフォンケーキは最高です。

何があるの?と問われ、コレという目玉の観光地がある場所ではない場所ではないかと思いますが、出会う土地とその場所で伸び伸びと豊かに生活する人々との触れ合いはほっこりした思いにしてくれます。

この南阿蘇は外部からの移住も活発で、今回出会った方々も出戻りや移住者の方々でした。
調べてみると、こんないい感じの移住者サイトもあり、支援制度も充実していることがわかります。

南阿蘇村移住サイト
水がいい、とか 人がステキ、とか 私たちにはあたりまえだから うまく説明ができないけれど 毎日を自然と楽しんで暮らしています、 阿蘇時間の生活を。

医療関係や、アーティスト、大工といった手に職を持っていている方が比較的多いようですが、移住者が新しく始めたお店がまた一つ地域の魅力を増やしていっているような連鎖が見えました。

最近聞いた話の中で、移住者が増えるためのポイントとして、「地域のウェルカム感」「巻き込まれて当事者にされる」という二点が重要なようです。南阿蘇で経験した外部の人への気さくで温かいコミュニケーションはまさにこれだと思いました。

このサイトを見ていても、ウェルカムな雰囲気がとてもあります。「地域おこし協力隊」といった移住に際しての支援金もあり、これを後押ししているように感じます。

総務省|地域力の創造・地方の再生|地域おこし協力隊

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柳川の延べ470kmの水路と御花

福岡に移住した友人が、県内とはいえ2時間をかけねば辿り着けない柳川の旅館でマーケタとして働き始めました。それほどまでに惚れこんだ「御花」という旅館の魅力はなんなのか、それを知るには行ってみるしかありません。

旅行業界はコロナで本当に苦境に立たされており、go toの恩恵で何とか急場を凌いでいるものの、綱渡りが続いていることは想像に難くありません。涙ぐましい努力の数々を聞いていると、「go to わーい!」と無邪気に楽しんでいることが申し訳なくなってきますが、何もしないよりはお金落としに行く方が良いかと思ってもいます。

さて、柳川は町中に張り巡らされた水路が有名です。西鉄柳川駅の近くから1時間強の川下りが楽しめ、その終点に位置するのが、「柳川藩主立花邸 御花」です。

柳川藩主立花邸 御花 | 福岡県柳川市
柳川藩主立花邸御花は、明治期の伯爵邸内での結納や花嫁舟に乗る和婚ができる結婚式場として、また柳川名物うなぎのせいろ蒸しや川下りが楽しめる柳川市の観光スポットとしても知られ、敷地全体が国の名勝に指定されています。名勝内ホテルの宿泊も人気です。

1738年に柳川藩主立花家の邸宅として建てられた建物を、文化財でありながら旅館としても活用しているようです。足を踏み入れるとその豪華な建物の作りに非常に驚きます。以下の写真の一枚目はメインのお庭なのですが、まさに江戸時代の大名の気分を味わえる宿でした。

大広間で寝そべってごろごろできるのも一興ですが、個人的に面白いなと思ったのは、和式の平屋が真っ白な西洋館に直付けされていて和洋折衷を文字通り体現しているところです。

食も外せません。ウナギが有名なのですが、柳川の民は味が濃い食べ物が好きなようで、ここではせいろ蒸しで頂きます。昔は地元で取れていたようですが、今は鹿児島の養殖うなぎのようで、この点はちょっと残念ですが、ここに来たらぜひうなぎを。そして有明海の海苔は素晴らしい、美味しい海苔の違いを実感できます。個人的には熱々の湯葉を海苔醤油につけて食べるのが最高でした。

400年にわたる歴史を受け継ぐ博物館も併設されているのですが、ここで個人的に興味を持ったのは秀吉から「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と評され、柳川の大名に抜擢された初代立花家「宗茂」です。秀吉への恩義から、関ヶ原では西軍につき、一度は柳川藩を追われたのですが、20年の月日を経て徳川家からの信頼を得て当主に返り咲きます。関ケ原で敗れた後旧領に復帰した唯一の大名だそうです。

小説家の葉室麟さんはこう評しています。「宗茂は他の戦国武将のように野心を剥き出しにしない普通の人。最終的に大きく出世したわけではなく、元居た場所に戻っただけかもしれないが、自分の居場所を見つけ、自分の役割から逃げなかった英雄といえるのではないか。」

挫折を乗り越え自分らしくあることを模索した宗茂という人物にとても好感を持ちました。どうやら積極的な大河ドラマへの誘致の活動があるようで、ぜひ実現してほしいと思いました。

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早過ぎた宮崎駿の力作「柳川堀川物語」

のんびりと満喫した柳川滞在でしたが、話はここで終わりません。なんとあの宮崎駿が、この柳川の地を描いた高畑勲監督のドキュメンタリーの製作に多額の出資をしていたことを知ったのでした。
ナウシカの収益を突っ込み、自宅を抵当に入れて借金までして作った映画なのですが、3時間にわたる超大作で、当初1年だった製作期間が3年にも及んだそうなのです。

このリンク先の記事を信じるならば、ここで拵えた借金を肩代わりしてもらうために作ったのが「スタジオジブリ」であり、ラピュタやトトロが生まれたそうなのです。ジブリは好きですが、存在すら僕は知りませんでした。

アマゾンでもストリーミングで配信してくれていないのですが、「柳川堀川物語」と検索すると、ニコニコ動画で15分区切りの動画が上がっているので、無料で見ることができます。

これを見ると、漫然と観光していてはわからない、「掘割」の裏側にある歴史と背景がとてもよくわかります。ネタバレにはなりますが、3時間の長編の中で僕が特に関心を持った部分をまとめたいと思います。

柳川掘割物語のまとめ

柳川が面する有明海は1年で6mも潮位が変わり、干潮時は干潟が一気に広がります。この干潟が年月を経て伸びていく形で陸地が広がっていきました。しかしこうした湿地で生活するには、水を引いてこないといけません。そこで水路が作られました。膨大な量の水路網を満たすのは、二ツ川という小さな支流一本です。坂一つなく、ほとんど勾配差の無いエリアでどうやって水を行きわたらせたのか、水利の無いこの地での緻密な設計と涙ぐましい努力がここにあります。

google map より

わずかな川からの水と降水で全ての生活用水を賄っていた時代、水を最大限利活用するための仕組みが「もたせ」でした。水路は高低差毎にブロックによって区切られ、ブロック間は一か所でしか繋がらず、下流へは必要量しか送らず、余った水は横方向の水路で貯めておき、水が減ったときに備えます。

常に川よりも高位にある田んぼに人力水車で水を送り水を使いつつ、降った雨を再び水路に貯める、稲を育てながら水路の水を反復して使用し、大雨が来たら堰板を上げて田んぼへ水を開放、こうして水路を用いて利水と治水を行ってきました。

二ツ川からは常に豊富な水が流れるわけではなく、春流れてきた水を下流でせき止めて秋まで大切に使い、冬は一旦水を抜いて水路全体をきれいにします。海からの高潮の被害を防ぐためにも堀が活躍していました。この部分は、文章で書くと分かりにくいかと思いますが、映画を見るとわかりやすいです。ニコ動ではその6が該当します。

柳川堀割物語 その6 - ニコニコ動画
柳川堀割物語 その6 福岡県柳川市を舞台としたドキュメンタリー映画 次ぎ:sm14502302 柳川堀割物語:mylist/25408133

高度経済成長期、1970年代に入ると、下水で堀はひどい汚さになりました。そもそも排水するのではなく水を「もたせ」て活用するシステムの堀がゴミで埋まったのです。同様のシステムがあった各地で水路は埋められコンクリートの下水路に取って変えられました。しかしこうした近代化したシステムにより水を地下水から得るようになった結果、地盤沈下に苦しむ地域が多くありました。大雨の排水もできません。

柳川でも一旦は堀を埋めて下水システムを完備する計画が立ち上がりましたが、新たに着任した平松係長が水路活用のシステムの復活を計画し、住民を説得し、市長を説得してその取り組みを実行しました。その計画の骨子は、①ヘドロを取り除き水路復活、②排水ルールを定めて汚水の流入を抑える、③維持管理の仕組み作り、です。

こうして柳川の水路網は復活し、今でも住民の生活を支えているということです。3時間の超大作ですが、途中から映画のクオリティと作者の並々ならぬ想い、そのメッセージに引き込まれていきます。ここでは水路のシステムに焦点を当ててかなり簡潔にまとめましたが、全編をご覧いただくとその全貌がわかります。やや冗長的でもあり長い映画ですがお勧めです。

30年の時を経て、見直される映画の価値

古くから自然との共生のために編み出されてきた「もたせ」という利水兼治水の英知、悪条件を克服し如何に水という資源を無駄にしないシステムだったかがわかります。コンクリートジャングルの都市化、大量消費という近代化が象徴する20世紀から、この21世紀は地球温暖化をはじめとした地球環境問題と向き合う100年になるはずです。

この映画は自然と共生するというのはどういうことかということを教えてくれます。近代化で人間がやってきたことは、「自然のシャットアウト」だと思います。内と外を分け、内の環境を快適にしていくということです。しかしこれは快適ではあるものの消費エネルギーが大きすぎるため環境負荷が大きいです。

自然との共生、循環型社会ということを考えたとき、①自然との境界を曖昧にし、自然を活かすことでエネルギーミニマムな仕組みを構築すること、②人間系から「排出」される負の産物を環境負荷を抑えて処理していくこと、がポイントだと思いました。

しかしこれは決して容易ではありません。柳川の市民が乗り越えたのは、汚れきった堀をきれいにするという大きなハードルです。自然が吸収できない部分に側面に向き合い、進んでやりたいと思えないことをやりきった、ということだと思います。

こうしたなるべく触れたくない部分に対して、テクノロジーを活用していくというのは大いに有効だと思います。しかしそれ以上に柳川堀川物語が教えてくれるのは、人々の協力の力だと思いました。

思い返せばジブリではこうしたメッセージがアニメを通して伝わってきます。自然との共生を描いたナウシカ、自然に対する畏敬の念を感じるもののけ姫、「なぜジブリでドキュメンタリー?」と思いますが、伝えたいことの根底は変わっていないと思いました。

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