タイトル

生を全うする

今回は身の上話です。祖母の大往生。

小学生頃、初めてのお葬式に出席したときの記憶は、いとこに「泣いてるの?」と聞かれて「目にゴミが入っただけ」と強がったということ。

当時他界された父方の祖父の記憶は、トマトに醤油をかけて食べていたことくらいです。なんだか自分の記憶というのは非常に頼りなく、覚えているのは特に印象に残った5秒位しかないことが多いのが不思議です。人の昔の話を聞いていると、「よく覚えているなあ…」と感心することが多いです。「過去は振り返らない性分なんです」とでも強がっておきましょうか。


それから随分時が経ち、母方の祖母という身近な人の他界に久しく向き合いました。身近というのは、毎年何度も顔を合わせていて、入院直前まで一緒に住んでいたからです。

リンパ腫のガンと宣告されてから28年間明るく生き続け、近年は死を受け入れている様子を見せていたため、親族一同「本当にお疲れ様」という安らかな気持ちのほうが強かったように感じます。

今回コロナ禍という特殊事情にかなり左右されたため、少し筆を取ろうと思いました。

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病は気から

リンパ腫のがんは完治は難しく、投薬で治療して腫瘍を根絶しても、また時間が経つとどこからともなく復活してきて再発というのを繰り返します。そうやって30年近くもがんと付き合い続けてきたのはあっぱれです。

それでも年々歳とともに悪化してきていて、80を越え、5年ほど前からは足の感覚がほとんどなくなり、歩行器無くして歩けなくなりました。それでも、歩行器を脇に置きながら、明るく台所に立ち続けていた姿が記憶に残っています。

病は気からということをこれほど強く実感させられた人はいません。

一度は頑張りすぎて転んで大腿骨を骨折し、しばらく動けなくなってしまったのですが、施設に入所し、毎日のようにリハビリに励み、自宅へ戻る許可を得て1年で施設を出ていったことがありました。そのとき、施設の方からは「ここから出て自宅へ戻る人は初めてです」と言われました。

決して悲愴感を漂わせることはなく、かといって生に対してしがみついているわけではなく、明るく毎日真面目に生きていく、その姿は強く印象に残り続けています。

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面会できない3か月

今年2月中旬頃から原因不明の眩暈に悩まされ、倒れたことで入院に至りました。いつものリンパ腫の再発ではなかったため、困惑したのですが(今思うとこれは脳へ転移していたということのよう)当時は病院の実情に呆然としたものでした(以下で書きました)。

そうこうしているうちにリンパ腫の再発が起きたのですが、今回は投薬に耐えるだけの体力がなく、積極的な治療はできない、と言われてしまいました。これはすなわちがんを治すことを諦めるということになります。そんな中で入院してすぐにコロナ禍に突入となりました。

そして一切面会が全くできなくなりました。
病院は何か起きたら当然連絡をくれるのですが、急変でもしない限り病状を伝えてくれるということはなく、コロナが収束したらお見舞いに行こうと思いつつ、一向に収束せず、時ばかりが過ぎていきます。

6月初めに病院がオンライン面会を開始してくれて、ライン通話で面会できるようになりました。病院側はiPadを使ってつないでくれていたようでした。

これは有り難いとテクノロジーの恩恵に感謝しつつ臨んだのですが、祖母がうつろな表情で一言もしゃべらずに愕然としました。聞くところこの一か月は一言もしゃべっていないとのこと。音沙汰ないのは元気な証拠とは言ったものですが、どうやら逆だったようです。

おそらくすでに脳にがんが転移していたということなのでしょうが、会えない間の変化が大きすぎました。もっと話しておけばよかったというような後悔というわけではなく、僕の場合入院前まで一緒に住んでいたのに関わらず、コロナによるシャットアウトでどうしようもない状況でした。

そんな中、状態が悪化し、2週間ほど前からは面会が許されるようになりました。いよいよまずいとなってからはコロナ禍の中でも面会が許可されるようでした。しかしオンラインでできないことが対面ではできるというわけではありませんでした。

面会ができるようになったら会いに行こう、という発想が通用しない時代になったと思います。しばらくこの状況が続くことを考えると、自分にせよ身内にせよ入院リスクがある場合は、こういった状況を想定しておく必要があります。

ドラマじゃないですが、死期を悟った時に、何か言いたいことがあったんじゃないかと思うと、その言葉を受け取れなかったことは心残りです。

たとえ身近にいても、なんだかんだ踏み込んだ話はしないのが身内ではないでしょうか。僕はたまたま昨年思い立って家系図を作ったのですが、その際には祖父母に昔の話を色々と聞けたので、あのときにちゃんと聞いておいてよかったなあ・・・と今思います。そういう意味では家系図づくりは家族の会話の呼び水におすすめです(以下家系図について書いた投稿)。

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現代では数少ない何もしない時間

目が開いている時間は常にインターネットに繋がっている世の中になって久しく感じます。暇さえあればスマホを見ているし、最近は耳まで繋がって、移動中まで情報がインプットされている、そんな中で「お経を聞いている瞬間」というのは数少ない何もせずじっとしている瞬間だなと思いました。

じっとしていることに苦痛を感じる自分を感じる時間です。まるで子供に戻った気分です。「4人で唱えているお経が途中で途切れないのは、息継ぎのタイミングを合わせてるからなのか?」ということが気になりだして、それぞれの息継ぎのタイミングを見てたり、決して途切れないお経に感動しつつ、どうでもいいことばかり頭をめぐります。
結局何も考えない、すなわち無心の境地には達せません。

自分はまだ死を意識するには若い年齢なわけですが、お坊さんの奥の遺影を眺めながらぼんやりしていると、一体祖母はどこに行くのかなあと考えるわけです。脈拍の停止と共に意識は消え、後は残された人の心の中で生きることになるわけですが、死後には何も続かないという当たり前のことを感じさせられます。そう考えると、なんだか日々感じていることがひどくちっぽけな気がしてきました。

表現難しいですが、自由に生きればいいんじゃないか、と。自分の心を揺さぶる半径5mの出来事はそんなに大事なんだろうか、と。そうはいっても、明日また嫌なことがあれば黒い感情に覆われるんでしょうが、そんな自分を想像し、上空からそんなこと気にしてもしゃーねーよ、と言う自分がいます。


故人との別れに際して、自分は何を感じなきゃいけないのか、故人を前にどんな感情を持てばいいのか、正直よくわかりません。そしてよくわからない自分に戸惑います。

最後の生き方は自分で選択できない

自分でご飯を食べれるうちは良いのですが、介助があっても食べれなくなると当然ながら長くは保ちません。そうなったときに延命を希望するか、ということを聞かれます。夫である祖父は、迷わず希望しませんでした。「本人は望んでません」と。

それはすなわち死期を早めることになるわけですから、躊躇して当然だと思うのですが、こういう決断をブレずに行う祖父に畏敬の念を感じました。延命は本人のためにはならないと思いつつ、後ろめたさや寂しさもあり、往々にして身内が望むものなのではないかと思います。

高度に医療が発達したからこそ、死のタイミングは選択できるようになったと思います。しかしその決断の瞬間に、当の本人には決定権がない場合が多いのではないでしょうか。

同じ立場に置かれたときにどういう決断をするか、それは日頃から当事者としての意識と死期迫る本人との意思の疎通があり、その上で大事に思っているからこそ、できる決断なのかもしれません。

最近は足腰も弱り、認知力も落ちて会話もおぼつかなくなりつつある祖父は、しょっちゅう娘である僕の母親に怒られていて、「90はだめだ・・・」とこぼすようになっていますが、ここぞというときの決断はすごかった。

どっと疲労感を感じつつも、いろんなことを感じ考えさせられました。
大事な伴侶の最後の瞬間に斯様に堂々とできるものなのか、生を全うした人の振る舞いを見た気がします。

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