ずっとやろうと思いつつさぼっていた前職の大企業で行っていた有志活動の総括をしてます。
「どんなことをやっていたか「有志活動の意義」「オンラインサロンとの比較」「できなかったことと課題」という4本立てです。 今回は後半の2つを書きます。
前回の記事はこちら↓
オンラインサロンとの比較
唐突に持ってきたオンラインサロンですが、この前以下の動画を見ていて、有志活動との類似性を感じたので、引用したいと思います。
オンラインサロンとは何か
オンラインサロンとは何かという問いには、ゲストで実際にサロンを運営する西野さん(2.6万人、月額1000円/開始から4年)、箕輪さん(月額6千円、2年)、中田さん(半年)の三人から三者三様の回答がありました。
その定義は固まったものはなく、サロンによって全然違うようです。共通するのは、「クローズなコミュニティ」であり、「理念(物語)に共感」した人たちが集まる場であることです。
理念のすり合わせには大きなコストが伴うため、理念に共感した人の集まりでは何かしようと思ったときのコミュニケーションコストが低くて済むこと、適度にクローズなので余計な炎上がなく物事がスムーズに進むというのがポイントのようでした。
- 箕輪さん:自分は関係ない、自分で動きたい人が集まっている、集まるための言い訳としてのサロンオーナーの自分がいる
- 中田さん:Just Do It、元気があれば何でもできる。先に何があるかわからないけど、目の前でやりたいことやろうという理念
- 西野さん:目指すところを共有、そこへみんなで一緒に走っていく
この動画を見ていて、なるほどなと思ったことのメモ↓
- 会社との違いは、会社は理念に共感した人が集まっているが、仕事がない時にも雇っている人に給料を払わないといけないのが難点。サロンでは、必要なときに必要な人に仕事を発注するスタイルが取れる。
- 受信よりも発信の方が満足度が上がっている。自分たちにいいパフォーマンスをさせてくれる人がスター。サグラダファミリアを見るより作りたい。コンテンツのクオリティに対する考え方が変わってきていて、コンテンツを作っていく過程のコミュニケーション自体がコンテンツに溶けている。
- 正解は誰でも言えるので、間違いにしか価値がない。間違うには一種の鎖国性が必要。治安としてのオンラインサロンの価値、透明すぎると炎上して無駄な労力がかかる。議論は鎖国内で議論して成果物を外に出したほうがいい。
- 何万人という規模になると、どうしても犯罪を犯すやつもでてくる、そういう人たちの対応をしないといけない。退会する人に気持ちよく退会してもらうために、時に会いに行くくらいのことをする。
- コミュニティを作りたいというやつには作れない。圧倒的なソフトがあって、そこにハードがついてくる。マリオをプレイしたくて、ファミコンができた。
- 説明から文化が生まれたことはない。理解するには体験してみるしかない。やってみないとわからない。説明に意味はない
- 時間の共有は大きい。その中で信頼関係が生まれてくる。
有志活動との類似性
有志活動の団体は、一種のサロンだったんだなあと思います。
- 理念や何かしらの意思を持って集まった人たちの「たまりば」であり、
- そのあり方は多様でなんでもよくて、
- 一種の鎖国性(会社組織からは離れた空間)を持った心理的安全なコミュニティ
- その中で、好きややりたいをきっかけに生まれるものはクオリティが高いし、その過程自体が面白い
- 時間を共有していくことで、信頼関係が育まれていく。
鎖国性を出すために、月額というお金を発生させている面では違うものの、多くの類似点があるように思いました。ただ、受信より発信することの満足が高まっている、という部分が、実感と合わないと思いました。発信側に積極的にいる人はとても少数でした。一方で受信ニーズは手ごたえがありました。「ニーズがあまりなかった、もしくは掘り起こせなかった」というのは課題だったと思います。
できなかったことと課題
物語があったか
僕たちの有志活動は「やりたいことを実践できる場」と定義していました。そういう意味では、参加する人が主人公として主体的に動けるような狙いは良かったと思います。

一方で、そこに「物語」が足りなかったと思っています。「楽しいと思うことをしよう」、と言っていたのですが、なぜ敢えて大企業という場でやる必要があるのか、この活動を通してどこに活きたいのか、その物語が描けていなかったと思います。
VUCAの時代、変化が激しい中で既存の事業の延長線上に未来が描けなくなってきていて、現状に対する危機感が強い方々が、何かしなければと思って集まってくれていたように感じます。だとしたら、その物語は「楽しいことをしよう」じゃなかったかもしれません。
堂々と言ったら会社側から目を付られそうですが、「大企業を変えよう」とか、「新しい事業の種を生もう」とかの方が合っていたかもしれません。
真っ当なサラリーマンの処世術からすれば、発信者になりたいどころか、むしろ目立ちたくないと思います。なので様子見、受信側から始まる。そこから、発信者が増えていく、というところまで持っていくのはできなかったのですが、何が足りなかったのか、
- ニーズはあったが、心理的安全性が確保されていなかった。
活動自体が広く社内で認知されるようになっていっても、個人レベルではその賛否は分かれるし、多くの人がどう考えているのかわからないという状況。その中で周りの目が気になる。 - 発信する側のニーズ、というのは強くない。
例えばすごい盛り上がったイベントがあり、やってよかったと主催者メンバーが感じたことは何度もありましたが、じゃあまたやろうというモチベーションが高まっていたかというと疑問を感じます。
ここには何か別のモチベーションが必要な気がする・・・それが物語なのかもしれない。
そもそも有志活動を大企業の中でやることの意義をスパッと言えないあたりが、やってることそのものの筋の悪さを感じるのですが、活動している身からすると、説明できないけれど体感として良いことをしていたように感じます。
それは課題解決よりも、課題発見が難しい中、想定内のことをしていても課題は見つからない、よくわからないことを広くやっていくのが必要。その上で、新しい課題発見ができそうな手ごたえがあったからだと思います。これは企業活動の観点からですが、もっと人の心に寄り添った方向で言えば、会社という仕事で繋がる無機質な場に、暖かさと思いやりを持ち込めたような気がするのです。
有志活動の運営
そもそも有志活動なので、やらなくていいことをやっているわけですが、これを継続させようと思うと色々難しいものがありました。
事務局として、最初4人で運営を始めたのですが、これは良かったと思います。誰かが忙しくても、誰かがフォローする形で回すことができるし、正解がない運営なので、考え方、強みも性格が違うメンバーが議論することでバランスが取れていたと思うからです。
誤算だったことは、1人目は開始早々から仕事が忙しく、かつ事業所が離れていたため関与が少なくなってしまったこと。2人目は自分の同期であり、仲のいい友達であったが、留学の準備のため途中で離脱してしまったこと、そして3人目は途中から業務が忙しくなり、結果として運営が1人になってしまったことです。
引き継いで入ってもらう人を見つけることもできませんでした。
そして今思えば拡大、ペースを急ぎすぎたと思います。他の会社の有志活動と比べても、人数の広がり方、イベントの回数共に異常。会社と同じで、ゆっくり地盤を固めながら大きくしていなかったが故のもろさがあったと思います。伊那食品工業の年輪経営というのが僕は好きなのですが、やりすぎずちょっとずつ売り上げを増やしていく、だから30年とかいう単位でずっと売上が伸び続ける、欲張らない経営をしている会社です。
焦らず、周りの人を少しずつ巻き込みながら、みんなで少しずつ動いていく、というのが大事だったのではないかと思います。自分勝手に動きすぎた、一過性な盛り上がりに満足していたが、より地に足のついた活動にするには違うアプローチが必要だったように思います。
P.S. 最近読んだ本
『1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』 boompanch のレビュー – ブクログ

これはいい本です。
シリコンバレーの名だたる企業、その多くの経営者や幹部にコーチとして大きな影響を与えた「ビル」という人物について、その偉大な貢献と、彼の愛についてまとめた本です。
今の世界の時価総額トップの企業群を形成しているのは GAFAに代表される シリコンバレーの企業ですが、そこは生き馬の目を抜くような厳しい競争環境だと勝手に妄想していました。
しかし、そんな世界も陰には驚くほど多くの企業の幹部から絶大な信頼を寄せられていた温かみのある人がいたことに驚いたと共に、だから上手くいったのかという納得もしました。
今スタートアップにいると痛切に思うのは、頭の切れ具合よりも遥かに人間力が0から立ち上がる組織を一つの方向性に向けるには大事で、そこはロジックの世界ではないということです。
未知の領域でチームが想像力とパフォーマンスをフルに発揮する必要がある全ての人に示唆を与えてくれると思います。
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